蛇花神婚譚

第15章 婚儀

Work by もっさん

 ああ全部思い出した。結局あの後、桃園の出口でアシュブランテ様に見つかったあげくにこっぴどく叱られて、二度とその秘密の園に入る事はできなかったんだったか、と。レヴィは徐々に人が集まり始めた窓下の景色を眺めながら思い出していた。

暖かな春の昼下がり、木々がそよ風に揺れる下で婚礼の宴に向けた準備が着々と進みつつある。集まり出した人々の中には上下様々な神々に混じり、いつもの友人達の姿も見受けられた。

「もうそろそろ時間だ。心の準備はできているか」

「……あなたがそれを言いますか」

 ひょいと横から顔を覗かせ外を見下ろしながら声を掛けてきたシャルカに、レヴィは思わず半眼になってしまった。今まで好き放題、強引に物事を進めておいて今更なにをと言わんばかりの彼の視線を相変わらずどこ吹く風とかわしてシャルカは部屋の中へとひっこむ。

 「花嫁の方も用意ができる頃だろう」

 そう言われレヴィはにわかに緊張を取り戻した。そうだ、今日は自分の、自分達の婚儀の日。見知った顔ばかりとはいえ、中には普段お目通りがかなわないような上級神も賓客として招かれている。失礼のないよう気を引き締めなければと、レヴィはあきれ顔を収めて襟元を正した。鏡の前で最後の確認を行っていると、こんこんと扉を叩く音が響く。シャルカが出ると、そこにいたのは花嫁の介添え人であるアシュブランテだった。どうやらシャルカの言った通りフィーチェの方も身支度が済んだようである。

「こちらの準備は終わった。入っても構わないか」

問いかけるアシュブランテにシャルカが「問題ない」と短く答える。レヴィが二人のやり取りを見ていると、ややあって後ろの方から花嫁衣裳に身を包んだフィーチェがアシュブランテに手をとられて部屋の中に入ってきた。おぼつかない足元で裾を踏んづけないよう細心の注意を払いながらフィーチェは部屋の中央、レヴィの前まで進んでくると改めて胸を張りしゃんと立つ。しかし同時に何かを期待するかのようにもじもじとしているようでもあった。

「なんとか言ったらどうなんだ、花婿」

「あ……」

アシュブランテに催促されてようやくレヴィはフィーチェに見とれている自分に気が付いた。しかし、おずおずとフィーチェが顔を上げ、改めてゆっくりとその双眸に捉えられるとレヴィは再びその姿に息を飲んで黙り込んでしまう。こんなに綺麗な娘、見た事がない。ようやく抱いた感情はそんな子供のように単純なものだった。だが無理もない。初めてあった時と同じく、いやそれ以上に彼女は美しく成長しており、その姿は朝方に咲く芍薬のように可憐で、昼下がりの牡丹のようには華々しく、そして月の下で咲きこぼれる百合の花のように神秘的だった。若葉色の精緻な刺繍飾りを幾重にも重ねたドレスに身を飾ったフィーチェの姿は、窓から射す柔らかな陽光を受けて微かに光を纏っており、それがまた彼女の人並み離れた容貌を引き立てているかのように見える。薄紅色の髪には絡まるように季節の花々が飾り付けられており、頬は緊張からくる高揚のためかほのかに紅潮していた。朝霞がけぶるような長いまつ毛の下では不安げな瞳が潤んでおり、薔薇色の瑞々しい唇が恐る恐る花婿の名を呼んだ。

「レヴィさま……」

「あ、何? どうかした?」

我ながら随分と間抜けな事を言った自覚があり、照れくさくなってレヴィはガリガリと乱暴に後ろ頭を掻いた。どうかしているのは自分の方だと。こういう時、花婿が言うべきことは決まっているというのに。

「ああ、ごめん。あんまりにも君が綺麗で、気持ちがあふれ出てしまいまして、つい」

いつかのフィーチェの言葉に載せてそんなことを言ってのけると、ますます彼女は顔を赤くさせて手に持つブーケで顔を隠してしまった。

「あ、顔見せてよ。せっかく綺麗なのに」

「いけませんわ、恥ずかしい……」

「隠したらもったいないよ」

「そんな……」

やんわりとした力加減でレヴィがブーケを下げさせると耳まで真っ赤にさせたフィーチェと目が合う。まるで林檎のように肌を朱色に染め上げた彼女を見て、レヴィは自然と笑みをこぼしてしまった。

「可愛い」

「あぅ……」

先ほどから柄にもない言葉がつい口をついて出てきて、こそばゆい気持ちになるが悪い気分ではないなとレヴィは感じていた。むしろ言葉にだして言えば言うほど自分の中が心地よい感情で満たされていき、目の前の少女がより輝いて見えてくるから不思議なものである。あれほど煩わしい存在だと思っていたのに、今ではこんなにも愛おしい存在になったのだから。

「そのへんにしておけ。フィーチェが茹で上がるぞ」

二人の小鳥の様なやりとりを後ろで苦笑しながら眺めていたアシュブランテがレヴィに声をかける。窓の傍で招待客の様子を眺めていたシャルカも本日の主役二人に向かって「そろそろだぞ」と声をかけた。

「会場の準備も整ったようだ。我々も向かうとしよう」

「分かりました。じゃ、フィーチェ」

はい、と言ってレヴィがフィーチェに手の平を差し出す。その意味するところが分からずフィーチェは小首を傾げ、手のひらとレヴィの顔を交互に見た。レヴィは苦笑交じりの照れ笑いを返すと彼女のブーケを持つ手から片手を外させ、己の手のひらの上に乗せる。じんわりとフィーチェのレースの手袋越しに互いの体温が伝わってくるのに妙に照れくさくなりながらも、二人は急かす親神たちに言われるまま控室を後にした。

シャルカとアシュブランテが少し先を歩き、その後ろをレヴィ達が手を取り合いながら、会場までの長い回廊を進む。会場が近づくにつれて徐々に人の賑わう音が聞こえてきて、フィーチェは緊張と不安からどんどん俯いていってしまった。初めて城を出た時のあの嫌な思い出がどうしても思い返されてきてしまうのだ。自分を拒むかのような人垣に耳に刺激の強い喧噪、見知らぬ人々の数多の視線……それらを思い出し、自然とレヴィと繋ぐ手にも震えが生まれてくる。

(この期に及んでなんてみっともないのでしょう、わたくし……)

こんな自分を見てレヴィは軽蔑しているだろうか、それとも落胆しているだろうか。怖くて完全に視線が足元を向いてしまったフィーチェの震える手を、レヴィは優しく、だが力強く握り返した。はっとしたフィーチェが顔を上げると、そこには彼女の予想に反してにこやかにほほ笑むレヴィがいた。

「大丈夫。俺がついているから。ね」

そう言いながらレヴィは緊張をほぐすように片手でにぎにぎとフィーチェのこわばった手指を揉む。そうだ、そうだった。今はもう一人であの人混みの中に入っていく訳ではないのだと、フィーチェは嫌な思い出を胸中で振り切って応えた。

「はい……!」

両開きの扉をシャルカとアシュブランテ、それぞれが左右に立ってゆっくりと開け始める。開かれつつある扉から主役を迎え入れるかのように日差しが細く差しこんできて、レヴィとフィーチェは目をすがめた。つま先から腰元、そして頭までの全身をすっぽりと太陽光が二人を包み込む頃には、すっかり目が慣れ外に待つ招待客たちの姿がはっきりと見えるようになった。フィーチェの髪に飾られているものと同じくこの春が旬の花々が咲き誇る庭園、その中央通路には臙脂色の絨毯が引かれており、その周りを囲む様に招待客の席が並んでいる。そして中央通路の突きあたりには一段高くなった席が用意されており、そこがどうやら花婿・花嫁用の席のようだ。

二人の親神に促され、レヴィとフィーチェは歓声のなか招待客たちの真ん中を突っ切るようにゆっくりと歩を進め始めた。上下さまざまな神々が祝福の言葉を投げかけてくるのに軽く答えながら、その中に混じってフィーチェに注がれる強い好奇の視線の数々をレヴィは見逃さなかった。僅かだがフィーチェの肢体を上から下まで舐めるように劣情のこもった目で見る者までいる。この状況にレヴィは覚えがあった。友人であり美の女神でもあるベレッツァと同じだと。おそらくフィーチェにも彼女と同じく魅了の力があるのだろう。魅了の力は同位格以上の上級神には効かないが、それ未満の下位神には本人の意思によらず効果を発揮するらしい。特に女性の美を顕著に現すとされる瞳や髪を目にした者は魅了の力に呑み込まれると、以前ベレッツァに聞いたことがある。

(なるほど、だからフィーチェはずっとローブで全身を隠していたのか)

レヴィは一見、さまざまな感情うず巻く視線には気づかないふりをしながらも、手に持つフィーチェの震える華奢な手指を包み込むようにしっかりと握り直した。フィーチェもそれに応えるように僅かな力を込めて握り返す。

二人が高砂席に着けば少し遠くの方で鐘が鳴って賑やかだった場が水を打ったように静まり返り、いよいよ婚儀の開始である。とはいえ婚儀といっても地上のそれとは違い、天界のものは実に簡単なものである。最初に主催者である親神たちが神婚の成立を宣言すれば様式としては完了とみなし、あとはもう親神たちの裁量の許す限り自由である。楽団を呼んで音楽を演奏させるなり、演劇を上演するなりなんなりと多種多様な出し物を行うときもあれば、とにかく飲み食いするだけの歓談の場が設けられるときもある。今回もシャルカとアシュブランテが簡単な挨拶を終わらせれば後はもう自由歓談の時間だった。

「なあなあレヴィ! お前そんな可愛い子どこで捕まえてきたんだよ!」

「俺にも紹介してよ。あ、俺レヴィの友達の~」

「君めっちゃ美人だね~レヴィから俺に鞍替えしない?」

「はいはい! 俺も婿に立候補するわ!」

挨拶が済んだと同時に高砂には、わっ、と人の波が押し寄せ、おのおの好き勝手に話し始めた。どの者も初めて公の場に現れたフィーチェに興味津々といった感じで次から次へと話しかけてくる。

「だー! うるさい、うるさい! フィーチェがビックリして固まってんだろ。落ち着け。あとそこ! 勝手に口説くな!」

押し寄せる友人達をいなしながらレヴィが吠えていると、その人垣が後ろの方から割れてよく見知った二人が顔を出す。正装に身を包んだアグマとロアだった。

「おめでとう二人とも~。いや~めでたいね~。僕まで嬉しい気分になってきたよ」

両手を頬にぴったりと合わせてうっとりとしたアグマが言う。その隣でにこやかなロアも祝福の言葉を口にした。

「おめでとう、レヴィ。俺たちにも嫁さん紹介してくれよ」

水を向けられたフィーチェは内心どきりと心臓が飛び跳ねた。

(そうですわね、ご挨拶せねば……)

どくどくと耳元にまでうるさく鼓動の音が鳴るほど緊張が高まる。なにせフィーチェにとってみれば今まで陰からずっと盗み見ることしかできなかった人達を初めて相手にするのだ。気負うなという方が無理な話である。顔をこわばらせたフィーチェの様子に、彼女にしか聞こえないくらいの声で小さくレヴィが声を掛ける。

「……大丈夫? 俺がなんとか上手くやろうか?」

気遣しげなレヴィの提案にフィーチェはぎこちないながらも微笑み首を振った。大丈夫だと言外に伝え、彼に手を引かれながら高砂から降りる。招待客たちと同じ目線まで降りてくると、とりわけ上背のある二人の友人達の雰囲気に気圧されそうになる。そしてその周りを囲うようにして様子を見守る、気の良い者達ばかりなのだろうが、好奇心いっぱいの目線にも息が詰まりそうだ。急激に高まる緊張感にフィーチェのマイナス思考がふいに顔をだす。先日の女神たちに警備へと突き出されそうになった時の事がちらりと脳裏に蘇る。あの時の突き刺さる視線のように冷たい訳ではないが、今の自分に注がれる視線は好意的とはいえなにぶん数が多い。おまけに目線こそこちらには向けていないが、談笑の合間にさり気なく主役二人のいるこちらを窺がっている神々も多い。日頃から仕事であちこちの神々へ顔をだし人柄の周知されているレヴィとは違い、今日が初めて公の場となるフィーチェにとって今この瞬間は何気ない会話の始まりでありつつも、社交の場にでる者として試されている瞬間ともいえる。要は最初の印象が肝心というやつだ。失敗すれば何と言って嘲笑されるか……などと一気に考えつつも、それでもフィーチェは俯くことなく前を向いた。一人の女神として、そしてレヴィの隣に立つ者として恥ずかしくないよう、これから生きていくのだと決意を込めて。

レヴィが支えてくれている手のぬくもりから背中を押してもらいながら、フィーチェはその手を離れ一歩、輪の中に進み出た。自分を囲む神々の顔をくるりと見た後、ふわりとドレスの裾をつまんで頭を垂れる。

「皆様、お初にお目にかかります。わたくし花の女神、花冠(ノイヴァ)()乙女(フィーチェ)と申します。この度こちらの雷神レヴィアーナと共に夫婦神と相成りました」

前のめりで聞き入るレヴィの友人達に少し緊張して声が震えてはいるが、その所作は流れるようで楚々としたものだった。

「本日はわたくしどもの為にご足労頂きまして感謝の念にたえません。誠にありがとうございます。まだまだ至らないところもあるかと存じますが、どうぞ幾久しく宜しくお願いいたします」

フィーチェが顔をあげると同時に人の輪には「おお~」としみじみとした歓声があがった。口元に両手をあててプルプル震えながらアグマが口を開く。

「感激……! めっちゃお嬢様キャラ……!」

「レヴィにはもったいないんじゃねえの」

半笑いでロアが茶化すと再び周りの友人達も騒がしくなる。

「そうだ、そうだ! レヴィにはもったいない! 」

「俺めちゃくちゃキュンときた! 」

「やっぱレヴィから俺に鞍替えしない? 」

友人達の怒涛のような発言にレヴィは拳を振り上げた。

「お前らなぁ!」

レヴィに詰め寄ったりフィーチェを取り囲んでモジモジしたりと騒がしくも忙しい友人達に、フィーチェは思わず小さく笑みがこぼれてしまった。自分が思っていたよりも案外、怖い人達ではないのかもしれない。

「……ふふ、うふふ」

少し安心したと口元をもにゅもにゅと緩ませていると、その様子を周りの面々が目を白黒させて穴が空くほどに見ていることに気づいた。しまった、何か空気を読み間違えてしまっただろうかとフィーチェが焦り出すと、その予想に反して友人達は何故か熱く湧きたった。

「あ、あの、わたくし何か粗相でも……」

「笑った顔も可愛い~」

「えっ」

アグマが筋骨隆々な肉体を恋する乙女のようによじらせながら言うのに、周りも同調して激しく首を縦に振っている。よく分からないが粗相をした訳ではないということだけ、フィーチェにもなんとか理解でき、胸をなでおろす。

「レヴィさまのご友人は賑やかな方々ですのね……レヴィさま?」

「え、あ、うん」

安堵しながら隣に立つレヴィを見上げると、珍しくぼんやりとした反応が返ってきてフィーチェの頭には疑問符が浮かんだ。が、後から降ってきたアグマの声ですぐに状況を理解することとなる。

「レヴィくん見とれてたんでしょ~。ひゅ~ひゅ~」

「ひゅ~ひゅ~」

「うっせ! もういい加減お前ら席に戻れ! 」

更に友人達にはやし立てられ、レヴィが耳まで真っ赤になりながら彼らを追い返すのをフィーチェはまた小さく笑い声を上げて見ていた。

そうして宴は賑やかに夜遅くまで続き、明け方を告げる夜明け鳥の声が鳴り響くのを合図にようやく幕を下ろした。

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