蛇花神婚譚
Work by もっさん
「あの、レヴィさま、痛いですわ」
「あっ、ご、ごめん」
ざかざかと大股に歩くレヴィと彼に手を引かれたフィーチェは豊穣神領域内の城下、その街並みの中でも人混みの少ない裏路地に来ていた。ここは城から通用門へ徒歩で行く際に最も近道とされている路地である。道を急ぐレヴィはつい、無言でここまでフィーチェを引っ張ってきてしまったことを詫びた。ぱっと離された手首をさすりながらフィーチェが俯きがちに応える。
「大丈夫ですわ。跡も残ってないようですし」
どこかぎこちなく言う彼女を振り返り、レヴィもなんだかぎくしゃくとする。何か声をかけようとして、しかしかけるべき言葉が頭の中に浮かんでこず、手持ち無沙汰な両手を右往左往させてしまう。
「あーくそ、俺ほんとうに駄目な奴だな……」
思わず漏れ出た溜息をひっこめ、レヴィは両手の平をいきおいよく合わせた。かけるべき言葉はうまく出てこないが、今すべきことが謝罪なのは分かっていた。沢山、色々と、順を追って謝らなければならないことがある。
「今さら謝っても遅いかもしれないけど、今までごめん! 実は俺、君の日記読んじゃって……」
「まぁ……あれをお読みになったのですね。お恥ずかしいですわ……」
突然の告白にフィーチェが羞恥で頬を染めているのがローブの陰からも分かった。その様子にレヴィは慌ててめちゃくちゃに腕を振って謝罪を重ねる。
「あぁ本当にごめん! それで俺、君が今までどんな気持ちで過ごしてたか知って、それで……!」
下を向いていたフィーチェがゆっくりと顔を上げる。ローブに隠れて相変わらずその表情は分からない。だが静かにレヴィの出方を待っているようだった。
一方で、丁寧に言葉を紡ぎたいのに、はやる気持ちからか今日に限って上手く口が回ってくれずレヴィは焦れた。きちんと相手に想いを伝えたい時に限って随分と役立たずになるものだ。しかし、それでもと思いのたけを形に表すため懸命になる。己の言葉を受け止めようとフィーチェも真摯に待ってくれているのだ。その姿勢に応えたいという気持ちが湧きたっていた。
一度大きく深呼吸をして鼓動を落ちつかせる。そうして改めて口を開いた。
「……君を振り回して、邪見にして、不誠実なことも沢山言った。そして何より君を凄く傷つけることを言った。そのことを謝りたいんだ。勿論、許してくれとは言わない。許してくれなくてもいい。それでも……」
降ろした両手に力がこもる。先ほどから「ごめん」と連呼しているため言えば言うほど軽薄に聞こえてしまうかもしれない。けれども自分の気持ちをまっすぐに伝えるため、小細工なしに言葉を重ねるよりほかないとレヴィは感じていた。だからこそ次のひと言に強く、固く想いを込める。罪悪感から下を向いて視線を逸らしたくなってしまう己を叱咤して、真正面にフィーチェと向き合いながら。
「ごめん」
フィーチェが微かに息を飲む音が聞こえ、その後しばらく二人の間には沈黙が流れる。しかしそれはけっして重苦しいものではなく、二人の仲にとって必要なものであった。フィーチェがレヴィの謝罪を受けて、それをどう咀嚼し受け止めるのか。そのための時間だった。
ややあってフィーチェが口を開いた。
「……こちらこそ、レヴィさまがわたくしのことで困惑して迷惑になっているのを知っているのに、それでもおかしなことをし続けて、懲りずに何度も失敗し続けて……本当に申し訳ありませんでした」
胸の前で手を合わせ震える声で言う彼女はもう、今にも泣き出しそうだった。その様子を見てレヴィは即座に首を横に振る。
「そんな、俺の方が悪いよ! だって君は俺の為に慣れないことも一生懸命してくれたじゃないか!……確かに失敗も沢山したかもしれないけど、それだって元々は俺が神婚をなかったことにしようと躍起になってたからなおのこと懸命になってたんだろ? 俺が君から逃げずにちゃんと向き合っていれば……」
「そんな……そんな……だって、わたくしも……」
フィーチェの頬から涙が伝い始める。
「レヴィさまのお気持ちに何も寄り添ってなかったですもの……こうあるべきと書物のいうままに鵜呑みにして……」
肩を震わせるフィーチェにレヴィは思わず手を伸ばしかけた。が、しばし躊躇ってその腕を下げた。今の自分に彼女に触れる資格があるのかと自問の声が脳内に響いたためだ。だが一方で日記帳を読み終えた時に湧きたった、じりじりとした感情が「手を伸ばせ」と訴えかけてくる。内なる二律背反との格闘の後、レヴィは意を決して後者を選んだ。こうでもしないとまた、彼女がどこか遠くに逃げていって今度こそ自分の手の届かない場所に行ってしまうかのような、あるいはこのまま儚く消えていってしまうような、そんな感覚に襲われたのである。
「フィーチェ、顔を上げて」
そっと壊れ物を扱うときにみたいに肩に触れる。驚くほど華奢な線にレヴィが胸中で戸惑っていると、目元をごしごしと拭いながらフィーチェが顔をあげた。
「レヴィさま……」
そうして初めて二人は視線をひとつに合わせた。―レヴィの絶叫と共に。
「ええ――――――――――!? 」
春を迎えようという、穏やかでうららかな日の下でその声は高く響き続けた。
*
話は今から数百年ほど遡る。あれはまだレヴィが蛇の尾で天界中を這いずり回っていた頃であった。幼い好奇心と冒険心に誘われた彼はアシュブランテの管理する桃園の奥深く、普段は何人たりとも立ち入ることが禁じられている秘密の園に来ていた。レヴィの予想通りその地には他ではまず見られない特殊な形をした珍しい桃が育てられていた。普通の桃を上からぺしゃんこにしたような、まるで蛇がとぐろを巻いているかのように見える奇妙なそれは、口に含めば爽やかな甘みと共に芳醇な香りを放つ、稀に見る逸品であった。レヴィは監視の目がないことをいいことに木によじ登り、その珍味を思う存分に堪能することにした。しかし「んめぇ、んめぇ」と桃を頬張っていた彼は突如、下から現れた棒に突かれ地面に落とされてしまう。何奴と目を剥いた彼の視線の先には一人の少女が棒を持って立っていた。
「なにすんだよ、お前! ……え? 」
だが怒れるレヴィの勢いはすぐにそがれてしまった。何故ならその少女が思わず見とれてしまうような美少女だったからである。まん丸の瞳はつやつやとした果実のようで、肌はふっくらとした健康的な乳白色。髪は腰まで伸ばしゆるくウェーブをえがき、日の光を反射してきらきらと輝いていた。まるで絵画の中に出てくる天の使いのような、そんな神秘的な少女だった。が、そんな雰囲気に似合わないゴツく長い棒を携えた彼女は何故だか瞳いっぱいに涙をたたえていた。
「ひっく、うぅ……」
どうやら先ほどのレヴィの怒号に恐れをなしたようである。ぷるぷると震え始め、そして火のついたように声を上げて泣き始めた。
「ふえぇ――ん」
「えぇ……なんで……?」
*
「こちらの桃はわたくしが初めてアシュブランテ様から任されたものですの」
「すげ~もうそんなに仕事任されてんだ。俺なんてまだ勉強しろ~変化の練習しろ~って言われてて、仕事は手伝い程度しかしてないや」
桃の木の下、並んで座りながらレヴィは少女と談笑していた。聞けばこの少女、アシュブランテの補佐役だという。
「あなたはシャルカ様の眷属なんですのよね。じゃあ変化って……」
少女の丸く大きな瞳が期待に輝く。その意味するところを理解し、レヴィは誇らしげにえへんと胸を張った。
「そう! ヒトの変化と龍の変化! まだ長い時間、形を保っているのは無理だけど、ちょっとだけなら二本脚で歩いたり、空を飛んだりできるんだぞ! 」
これには少女も大興奮である。
「まぁ凄い! ぜひ見てみたいですわ。ね、ね、やってみてくださいまし」
ちょいちょいとレヴィの肩口を引っ張って催促をしてくる。その仕草にレヴィは胸の奥底の方がこちょこちょと、むずがゆくなるのを感じた。なんだろう、この感じ。それに妙にドキドキする。
様子のおかしいことを悟られたくなくてレヴィはわざとちょっと不機嫌そうな声色でその申し出を断った。
「え~、あれすっごく疲れるんだぞ。また今度な」
すると少女は目を丸めてきょとんとした後、恐る恐るレヴィに聞き直す。
「また今度……また会いに来てくださいますの?」
「もちろん! 次来る時は龍の姿で飛んできてやるよ」
すると少女は感激したように破顔する。ふっくらとした頬を口角でめいっぱいに持ち上げて喜色満面といった顔でレヴィの両手をぎゅっと握ってきた。急な接近にレヴィの心臓はどきりと跳ねる。
「絶対、絶対にいらっしゃってくださいませね。わたくしずっと待っていますから」
「おう、もちろんだ! 首を洗って待ってろよ」
「はい! ついでに頭も洗ってお待ちしていますわ」
ニシシとレヴィがこそばゆい気持ちで笑いかけると、それに応えるかのように少女も歯を見せて笑う。しばらくそうして笑いあったりふざけあったりしていると、もう空はすっかり夕暮れ時となっていた。そろそろ帰らなければならないと、レヴィは少女を振り返りながら立ち上がった。
「なあ、ところで聞いてなかったけど、お前の名前は何て言うんだ? 俺はレヴィアーナって言うんだ」
「わたくしの名前は、今はお伝えすることができませんわ。お教えしてもよいかアシュブランテ様にお伺いをたてませんと」
どうやら彼女の生活は制約が多いらしく、何かをするその都度アシュブアランテに確認が必要なようだった。名乗りひとつだけにも許可が必要なのだと少女が説明するとレヴィは頬を膨らませてぶーたれる。
「えぇ~それくらい、いいじゃんか~」
「次にいらっしゃる時にはお伝えできると思いますわ。でもそうですわね……ふふ、ヒントくらいお伝えしましょうか?」
顔を膨らませたレヴィにくすくすと笑いかけながら少女がからかうように言う。
「もったいぶるなよ~。んで、そのヒントって? 」
レヴィが前のめりになって聞くと、少女はこほんと小さく咳払いをして居ずまいを直し、こう告げた。
「わたくしの名前は『花冠の乙女』またの名を――」
花嫁と言うのですわ、と。
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