蛇花神婚譚
Work by もっさん
その申しつけを初めて聞いた時、フィーチェは自然と頬が紅潮していくのを感じた。それどころか胸が喧しいほどに高鳴り、額にはじったりと汗がにじんだ。信じられない。そんなことがあってもいいのだろうか。けれども率直に抱いた感情はけっして嫌悪感ではなかった。
「わたくしがレヴィアーナさまと婚姻を結ぶのですか」
噛みしめるように確認するとフィーチェの目の前で椅子に腰掛けるアシュブランテ―フィーチェの上職にあたる―が頷く。
「そうだ。お前には次の桃花の時期に輿入れしてもらう。レヴィアーナのことは名前ぐらいなら知っているか。シャルカんとこの次男坊だ。」
「ええ、存じ上げています。頻繁にこちらへお仕事でいらっしゃるのを遠目からですが、拝見していますので」
雷神レヴィアーナは天空神アルカ=シャルカの眷属であり天地における雷雨を司る神である。その巨大な蛇龍の体躯に山のような黒雲を背負い、地上と天界の空を縦横無尽に駆け種々の生命に恵みの雨をもたらす驟雨の化身。また一方では激しい雷霆を打ち落とす紫電の権化でもあり、長槍から生み出される雷撃であらゆるものを打ち砕くことができるとも言われる。これだけ聞くと随分雄々しい神なのかと思うだろうが、本人の人柄はいたって温和で人当たりのよい好青年であり、上級・下級問わず神々からの覚えはめでたい。アシュブランテが領内にある農区の天候管理に関して彼を指名することが多いのもそのためである。豊穣神の領域は他領に比べ広大な土地を有しているがゆえにそこを管轄する神々の数も多く、なかには癖が強く気難しい職人気質な神もいる。それらと円滑に意思疎通するために彼の柔和で朗らかな人柄が大変重宝されるのである。その評判は引きこもり生活を送るフィーチェの耳にも届くほどであった。
「私たちがみな縁によって互いに結ばれているのは、お前も承知しているところだな」
アシュブランテの問いかけにフィーチェは首肯で応える。縁とは神が互いに合意の上で構築される結びつきのことであり、人によっては契約と呼ぶ者もいる。通常はアシュブランテとフィーチェの間で交わされているもののように、上位の神と下位の神との間で結ばれるものが多く「眷属」と呼ばれる上下関係によるものがほとんどだ。しかし婚姻となると話が違う。上下関係によるものではなく横同士、対等な状態で縁をつなげるため眷属関係とは勝手の異なる点がいくつか存在する。
「今回お前たちがするのは神の婚姻、つまりは神婚と呼ばれるものだ。神同士が正式に婚姻を結ぶためには色々やり方があって人それぞれなんだが……まぁ一度置いておく。それよりも大事なのはその前段階だ」
アシュブランテが椅子に深く座り直し、やや遠くを眺めるような仕草をする。何かを思い出しているのだろう。その苦々しい表情にフィーチェはすぐに察しがついた。
「猟師のお兄様のようにはならないよう、精一杯努めますわ」
アシュブランテの眷属の一人、狩猟の男神にもかつて婚姻話が持ち上がった事があったが、紆余曲折の末に破談となったと聞いた事がある。フィーチェがまだ幼いころだった上に本人も話したくなさそうにするため詳細を知る事はなかったが、確か噂によれば互いに相性が悪かったがゆえに失敗したとか聞いたような……。
「あーまぁ、あれはなぁ引き合わせた私たちも悪かった」
この際だからそのことも話しておくか、と前置きしてアシュブランテが説明を始める。
「神婚で大事なのは二つ。一つ目は神としての性質の相性だ。例えば草木の神は水の神と相性が良く、反対に火を司る神とは相性が悪い。これは感覚的にも分かるな。自然の恵みを司る我々豊穣の一族は、シャルカ率いる天候龍の一門と基本的には相性のいい神が揃っている。基本的にはな」
豊かな実りが成り、生き物が成育されていく為には、大地が雨に打たれ動植物が日の光を浴びていく必要がある。つまり天候神の眷属もまた豊穣の者たちと同じく、恵みをもたらす性質をもつ神々である。
「レヴィアーナは雷の神だからな。植物の生育を司るお前とは相性がいいはずだ。だが、あいつのときはな……」
あいつこと、狩猟の神の時を思い出しながらアシュブランテが長い溜息をついた。
「あの当時シャルカんところで長じた奴がサメリという雨の神しかいなくてな。まぁ想像するまでもなく分かることだが、狩りを性にもつあいつと雨は相性がおもいっきり悪い。雨が降ったら狩りになんぞ出られなくなるからな。それでもとダメ元で引き合わせてみたはいいんだが……」
遠くを見ていたアシュブランテが今度は皺の寄ってしまった眉間のあたりをもみほぐし始める。
「あいつはもうカンカンに怒ってな『こんなピーピー泣いて雨ばっか降らす奴となんか結婚できるか! 辛気臭いわ! こなくそ!』と言って帰ってこなかった。サメリの方も『あんな野蛮な人となんか絶対に結婚しない!』と大号泣してな。収拾がつかなくなって神婚の話自体が流れたんだ」
なんとなくだが当時の混乱ぶりがフィーチェにも頭に浮かんでくる。サメリという女神とは面識がないが、兄にあたる狩猟の神についてはよく知っている。彼はその司る職能からか大変豪快な性格をしている。よくいえば小さな事を気にしない豪傑とも言えるが、悪くいえば細かいところに目のいかない粗暴者である。よくも悪くもマイペースなフィーチェにとってはいい兄だが、神経の細い者からしてみると馬の合わない事この上ない人物だろう。
「あれはもう、性格が正反対なやつ同士を引き合わせた私たちが悪かった。しかしまさか、あそこまで駄目なもんとはな……」
より一層眉間に皺を寄せながらアシュブランテが苦虫を嚙み潰したような顔をする。並大抵のことには動じない、狩猟の兄にも負けず劣らず豪の者である彼女がここまで言うのだから、当時の阿鼻叫喚ぶりは推して知るべしである。
「話が少しずれたな。いや、遠からずか。とにかく神婚で大事なことの二つ目は、人物としての相性だ」
「人物としての相性?」
疑問符を浮かべたフィーチェがオウム返しにすると、その疑問はもっともだと言わんばかりにアシュブランテが続ける。
「そんなことを気にする必要があるのか、と思うよな」
胸中の疑問をそのまま言葉にされたフィーチェが要領の得ない頭で頷く。本人の意思によらず上職の者が相手方を決めていることから、この度の神婚はいわば政略結婚のようなものである。誰と誰を引き合わせて見合うか、そこには当人の意思が一切入っていない。だというのに今更、当人同士うまくやっていけるかどうか気にするなど順序が違うのではないだろうか。たとえ相手と性格が合わなくても折り合いをつけて夫婦として生涯を共にしていく――上役の決める結婚とはそういうものだろう。引きこもりで世事に疎いフィーチェですら、そのような割り切り方が時としてあることを知識として知っている。
「そもそも何故神婚をするのか、分かるか?」
迂遠な問いかけに首を捻ったフィーチェは、頭を横に振った。そうだろうな、とアシュブランテが頷く。
「神と神が婚姻という深いつながりを結ぶとな、互いの力が影響を与え合うんだ。強め合うと言い換えてもいい。神として生まれついての素質、神力、あるいは活力なんかを高めあうことができる」
それで、と一呼吸おいてアシュブランテが続ける。
「縁っていうのは不思議なもんでな、互いを好きだと思って気持ちが通じ合うとより強く固く結びつくもんらしい。要は仲が悪い者同士よりも良い者同士の方が縁を結ぶと互いの力を強め合うってことだ」
そこまで聞いてようやくフィーチェも合点がいった。
「それでは、わたくしとレヴィアーナさまが婚姻を結ぶことで互いの能力を高めあう事ができるかもしれないから、此度の神婚が持ち上がったということですのね。そしてそれは――」
続く言葉をアシュブランテが引き取る。
「破壊神封印の要を強固にする礎となるってことだ。私たち十二神とお前たち眷属神もまた縁でつながりあっている。お前が強くなるってことは回りまわって私の力にもなるってことだからな。そしてどうせ神婚状態になるんなら二重の意味で相性の良い者同士をくっつけた方がいいってことだ」
なるほどとフィーチェが頷く。仮に神としての相性がよくても人柄で反発しあうような者同士でくっつけるよりかは、神として相性がよくかつ仲睦まじい者同士の方が見込める能力の向上は高い。人物としての相性も大事とはそういうことだ。ということはつまり
「わたくしのことをレヴィアーナさまに好いて頂く必要がありますのね……」
半分独り言のように呟いた弱音をアシュブランテが拾う。
「そうだ。しっかり励めよ」
自信なさげにフィーチェが俯くと開け放たれていた窓から一羽の精霊が書簡を持って飛び込んできた。アシュブランテ宛てのそれは彼女の前で音もなく宙で留まって読まれるのを待っている。
「ふぅん、なるほど」
素早く流し読んだアシュブランテはすぐさま羽筆をとり、何やら書き付けている。最後に記名を終わらせ返信を窓から羽ばたかせると再びフィーチェに振り返った。
「桃花の時期に輿入れと言ったな。その前に少し時間をとることになった」
「何のための時間でしょう?」
今きた書簡に何がしか書かれていたのだろうか。フィーチェが顔をあげて二の句を待っているとアシュブランテはこう告げた。
「同棲だ」
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