蛇花神婚譚
Work by もっさん
翌朝、気も新たにダメ男神作戦に臨むレヴィは居間のソファーに腰かけていた。待っているのは厨で茶の支度をしているフィーチェのことである。起床の挨拶もそこそこに眠気覚ましの飲み物を所望したレヴィは、いかにフィーチェに対して文句をつけるか考えていた。
(まずは……そう、温度にケチをつける。ぬるい! こんなぬるい茶が飲めるか! って。そんで味が薄いだの濃いだのウダウダ言って、何をやっても細かく文句をつける……。よし、やるぞ)
悶々とするレヴィには気づかずフィーチェが盆に載せたポットと茶菓子を運んできた。先日からのおぼつかない手つきとは打って変わってフィーチェが楚々とした所作で茶器を卓に並べていく様に、やや面くらいながらレヴィは支度をする彼女を眺める。
(あれ……?俺の予想ではここであっつい茶を頭から掛けられるか、茶菓子を顔面に叩きつけられるかするかと思ったんだけど)
レヴィの予想に反して足元の絨毯にも己の足にももつれることなく無事にお茶を運んできたフィーチェは、ガラス製のポットにいれられた紅茶をゆるくマドラーでひと混ぜする。見れば大振りに切られた果実がゴロゴロと底に溜まっていた。慣れた所作でグラスに茶を注ぎ入れながらフィーチェが解説する。
「桃の香りをつけた茶葉を水出しして、糖蜜漬けにした花梨を入れましたの。本当は桃の果実をそのまま使いたかったのですが、まだ今年のものは時期ではないので」
ポットには氷こそ入っていないが表面にうっすらと汗をかいており、今しがたまでよく冷やされていたことがうかがえる。渡されたグラスの心地よい冷たさに、寝起きでまだ半分ぼんやりとしていたレヴィはつい何を考えるでもなく自然と器を口に運んでしまった。
まず飛び込んできたのは濃厚な桃の香りと、後から追いかけてくる花梨のじんわりと優しい甘味。水出しゆえ余計な渋みが出ていない茶葉の澄んだうま味が、果実の微かな酸味や蜜の芳醇なとろみと相まって舌に広がっていく。呑み込めば寝起きのまだ少し体温の高い体に清涼感と共に流れていった。これには思わず言葉がこぼれてしまう。
「うまい」
と。しまったと、一拍遅れて失言に気づくがもう遅い。
「お口にあったようで何よりですわ。お茶請けには胡椒で味をつけたメレンゲ菓子を用意しましたの。こちらもどうぞ、召し上がってくださいまし」
レヴィの反応を今か今かと待っていたフィーチェは嬉しそうに胸の前で手を合わせ、顔をほころばせた。続けてレースペーパーに綺麗に盛り付けられたメレンゲ菓子を勧めてくる。甘いお茶に塩気のきいたお茶請けとは気が利くなぁ―じゃなくて!そうだ、何か文句をつけないと!お茶はもう褒めてしまったからこの茶菓子にケチをつけねばと、レヴィは期待をこめた目で見つめてくるフィーチェの視線を浴びながら皿に手を伸ばした。今度こそと意気込んで一つばかり口に放り込むと、しゅわっとした軽い音を立てて崩れたメレンゲが口の中で優しくほどけていく。ほどよい岩塩の塩気と共に鼻孔をくすぐる香辛料の爽やかな風味。ピリッとした辛みは舌先をほどよく刺激して、レヴィはまたも知らず知らずのうちに呟いてしまった。
「う、うまい……」
とろりとした甘味のお茶と、それと絶妙に絡んで胃に流れ込んでいくメレンゲ菓子に完全敗北をしたレヴィは己の馬鹿正直な口と食欲を呪った。だがしかし、文句のつけようもないくらい美味いのである。甘く香りをつけた紅茶も、辛みのある菓子も非の打ちどころがないくらい自分好みの味なのである。食べ盛りの男に対してこれに屈するなという方が無理な話だと、レヴィは心の中で誰にともなく言い訳を重ねた。
「おかわりもあるので、どんどん召し上がってくださいませ。レヴィさまの為ですもの、わたくし頑張って作りましたのよ」
他にも召し上がりたいものがあれば何でも仰ってくださいませと、にこやかにフィーチェがポットの水滴を布巾で拭う。……まだだ。まだ試合は終わった訳ではない。確かに一度ならず二度も賛辞を送ってしまったが、まだ挽回の余地はあるはずだ。レヴィはしっかりと舌鼓を打ってしまった自分自身にくじけそうになるも、きっ、と鋭い視線でフィーチェに向き直った。無邪気に笑いかけてくる彼女に毒気を抜かれそうになりつつも、己を鼓舞するかのように握りこぶしを膝上に作ってこう言ってのけた。
「お、俺はお茶よりも酒が飲みたい」
どうだこの我儘ぶり。しっかりと手作りのお茶とお菓子を堪能しておいて言うことだろうか。
「何でもって言うんだから用意してくれるよね?」
普通なら怒りをあらわにしてもおかしくない自分勝手な言いざまに、フィーチェは特段表情を崩すことなく頷く。
「ええ、もちろん。ご用意できますわ。杜氏のお兄様に文を飛ばしますわね」
杜氏のお兄様とはおそらくアシュブランテの眷属である酒造の神のことだろう。彼の作り上げる酒は天界で非常に人気を博しており、また同時に入手が大変難しいことで有名である。レヴィとて片手で数えるほどしか口にしたことのない貴重な一品揃いで、通常であれば十二神が出席するような大々的な行事の際にしか供されない希少なものである。だというのに、それをこうも気軽に取り寄せてくれるというのだ。これにはレヴィも驚きから勢いをそがれてしまう。
「え、ほんとに? いいの?」
「ええ。レヴィさまはお酒が本当にお好きですものね。ぐふふ。大好きなレヴィさまのことですもの。わたくし、ちゃんと存じていましてよ」
すっとんきょうな声をあげるレヴィとは対照的にぐふぐふと笑うフィーチェは傍目には不気味だろう。しかし大の酒好きであるレヴィには今だけ、彼女に後光がさして見えた。いや彼女も神なのだから後光の一つでもさそうと思えばさせるのだろうが。と、そこである邪な考えがレヴィの脳裏をよぎる。
(ってことはこの娘と結婚すれば貴重な酒が飲み放題……!?)
いや待て、はやるな。気を確かに持て。そんなメリットとデメリットが釣り合ってないことを検討するな。いくら酒が飲み放題になろうとも、こんな娘とこんな窮屈な思いをする生活は断固として御免こうむる。嫌われろ、嫌われるんだ。そして言わせてやるんだ。「神婚はなかったことにしてください」と!
レヴィは揺れる心の天秤を持ち直すと再びフィーチェとさしむかった。
「ところでさ」
喉の調子を整える為にお茶を口に含む。自分でも大分突拍子もないことを言いだそうとしている自覚はある。そんなレヴィの様子に何か感じとるものがあったのか、フィーチェも居ずまいを正した。
「なんでしょう」
「俺のこと、好き?」
やや躊躇いがちにレヴィが尋ねると途端にフィーチェはとろけるような表情になり、くねくねとしだした。
「もちろんお慕いしていますわ」
今更何を疑っているのかと言わんばかりの態度の彼女にレヴィはなおも問いかけた。
「じゃあ好きなところ十個挙げてみてよ。俺のこと好きなら当然言えるでしょ」
若干顔を引きつらせながら言ってのける。我ながらなんてガキ臭いことを……いやでも、これぐらい俺様めいたことを言った方が女の子は引くもんだ。どうだ面倒くさい男だろう。さあドン引きしてみろと背中に汗をかきながらレヴィが構えていると、やはりというかなんというか、フィーチェは全く意に介さず指折りながら列挙を始める。
「たったの十個でよろしいのですか? ではまず一つ目。いつも威風堂々としてらして自信がおありなところですわ。凛とした針のような眼差しと張りのある艶やかなお声にはいつ何時も見惚れてしまいます。それからどなたとでもすぐに打ち解けることができて輪の中心にいらっしゃるところも素晴らしいと思いますわ。お話がお得意でいらっしゃるのね。得意といえば前に一度レヴィさまがご友人と訓練してらっしゃるところを遠くから拝見したのですけどそれはもう見事な槍術でした。風のように流れる槍さばきと伸び伸び躍動するお体に目を奪われましたわ。あとお召し物がお洒落で素敵だと常々思っていましたの。特にその蛇のピアスとてもお似合いですわ。レヴィさまの端正なお顔立ちを更に引き立てて輝かんばかりです。わたくしなんて他の方と目を合わす事すら難しいですし何の取り柄もありませんし髪も肌もボロボロで爪のひとつも染めた事がありませんの」
「えつ、ちょっ」
怒涛の勢いで話し始めたのを制止しようとするも、変なスイッチが入ってしまったのか全く止まる気配がない。どこで息継ぎをしているのか分からないほど一気に捲し立ててくるフィーチェは、既に自分の世界にはまり込んでしまったようだ。レヴィが気圧されているのにも気づかず、頬を紅潮させ興奮気味になおも続ける。
「そしてなんといっても雄大に空を駆けるお姿! 初めて目にした時からずっと脳裏に焼き付いて離れませんの! 今でも昨日のことのように覚えていますわ。そうあれはまだわたくしがドングリのように小さかった頃でした。遥か彼方から大きく立派な積乱雲を背負ったレヴィさまが稲光をはち切らせながら飛んでいらしたの。あんなに雲が早く流れていくのなんて初めて見ましたわ。自由で何にも囚われなくてどこまでも力強く羽ばたいていて。紫色の鱗が雷をまとって爛々と輝いていて。その日からレヴィさまのことをいつもいつも部屋から眺めるようになりました。憧れましたわ。わたくしも一度でいいのであんな風に外を自由に駆けていきたいと。龍のように風に乗り蛇のように草木をかき分けて」
などと言いながらずいずいと鼻息荒くフィーチェがにじり寄ってくる。女の子に情熱的に迫られるなど本来であればなんともありがたいことだが、今回ばかりは身の危険を感じてならない。俺はこのまま食われるのではないかとレヴィの頭には一抹の不安がよぎるほどである。本来自然界において捕食者側に立つ蛇かつ龍の自分がこんな恐怖を抱く日がくるとは思わなかった。今すぐこの子から心理的にも身体的にも距離を置きたい。いや逃げたい。
婚姻を破棄させてやると意気込んでいた気概はどこへいったのやら、すっかりフィーチェの勢いに飲まれてしまったレヴィはもはや獲物に見定められた小動物がごとくだった。両手を胸の前でつっぱってフィーチェを制止する。
「お、落ち着いて」
どうどうと興奮した動物を宥める仕草をするが、それすらも今のフィーチェは突破してくる。おびえるレヴィの両手を逃さんとがっしり掴むと更に畳みかけてきた。
「レヴィさまのことをお話するのに落ち着いてなんかいられませんわ! まだまだ語らせてくださいまし! わたくしがいかにどれだけレヴィさまをお慕い申し上げているか!! ええそうあの日もそうでした! 太陽が高く昇った暑い夏の盛りの頃にアシュブランテ様のお言いつけで農園に雷雲を走らせるレヴィさまの―」
その後もフィーチェによるレヴィ談義は続き、深夜を超え明け方までレヴィ本人を捕らえて離さなかった。
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