蛇花神婚譚
Work by もっさん
「おかえりなさいませ、レヴィさま」
「た、ただいま……」
フィーチェに気づかれないよう気配を消して玄関に入ったつもりだったのだが、背後から弾むような声が刺さってきて、レヴィは思わず肩をビクリと震わせた。東屋で三人と別れて帰る道すがら、自分なりに破談の申し込みをするにはどうすればいいのか思案を巡らせていたのだが、結局何も良い案が思いつかず新居に着いてしまった。
「お仕事お疲れ様でした。お夕食の用意ができていますわ。それとも先に湯あみをなさいますか?」
周りをうろちょろとしながら畳みかけてくるフィーチェにたじろぎながら、弱音をあげてしまいそうになるレヴィの頭に先刻の言葉が蘇る。「不埒で無礼で横暴で、ついでにスケベな輩」……そうだ、ここで相手の迫力に負けてしまってはこの先一週間後に望まぬ婚儀である。天界の神々にこの娘との婚姻を周知されてしまっては、もう後戻りできない。水面下で事が進んでいる今ならまだ、間に合うのである。レヴィは弱気にたゆんでしまった己の背骨をまっすぐに伸ばし、胸を張った。
「食事はいらない。湯あみは自分で済ませるから何もしなくていい。下がっててくれ」
目も合わせず、これでもかというほどつっけんどんに言い放つ。ここで相手の顔を見られないのには申し訳なさが勝っているから、というところにレヴィの人の良さが滲んでいるのだが、付き合いの短い者には分かるまい。頼むからこれで引いてくれ。俺を一人にしてくれ。そう思いながら横目でちらりとフィーチェの様子を窺がうと、レヴィの予想通りしゅんと一回り小さくしぼんだ彼女が言葉を詰まらせていた。うっ、と良心が軋むのを感じる。言いすぎただろうか?
「お、俺は普段外で飯食うことが多いから、食事は作らなくてもいい。君もわざわざ作るのは手間でしょ。そういうの、申し訳ないし、なんなら君が腹減った時、俺が作るから声を掛けてもらってもいいし……」
ばつが悪そうに一気に言いきってしまってからレヴィは、いらんこと言ったなと己を呪った。が、すでに後の祭である。しょぼしょぼしていたフィーチェは驚いたように顔を上げると、ずり落ちそうになっていたメガネを直しながら嬉しそうにする。
「お心遣いありがとうございます。レヴィ様はやっぱり優しいのですわね」
「う、……うん」
嫌われるはずが、余計なことを言ったせいで逆に好感度を上げてしまったような気がする。うっとりと見つめてくるフィーチェに更にきまりが悪くなったレヴィは、早々に自室へ退散することにした。これ以上ここにいたらもっと余計な事を言いそうな気がしてきたのである。
「じゃ、俺はもう行くから……」
「あっ、お待ちくださいレヴィ様!」
そそくさと背中を向けるレヴィにフィーチェの制止の声がとぶ。まだ何かあるのかとこわごわ振り返ると、彼女は居間の片隅に山となっている荷物を指さしている。
「レヴィさまのお荷物が届いておりますの。お部屋に運びましょうか?」
視線を向けるとそこには天空神の領域内にあったはずの、自室の調度品やら仕事の書簡やらが雑然とひとまとめになり引っ越し荷物のごとく積み重なっていた。部屋にあったものを文字通り、一切合切運び出したのだろう。中には嫁入り道具よろしく新たに用意された家財までもがうかがえる。荷ほどきをするのに気が遠くなりそうだ、と考えかけたレヴィは、その思考を振り払うように頭を勢いよく横に振った。
(いやいや、すぐに元の場所に帰るんだし。こんな所に長居をするつもりはないし)
「いや、自分で運ぶからそのままにしといて」
レヴィは当座の仕事で必要なものだけ適当に拾い上げると今度こそ、新居内に新たに設えられた自室へと引き下がった。
*
「レヴィさま、起きてくださいまし!」
翌朝レヴィはフィーチェに起こされることとなった。背中をぐいぐいと押され寝ぼけ眼のまま玄関口まで連れていかれると、そこにいたのは天空神の領域にいるはずの、レヴィ直属の部下二人であった。
「え、なに、どうしたの……?あ、お前ら!」
「おはようございます~レヴィアーナさま、フィーチェさま」
朗らかに手を振り声を掛けてきたのはシューニャである。
「本日の業務にお供するため参りました」
挨拶と共に折り目正しいお辞儀をするのはエークである。二人とも元々は天空神の領域でレヴィの仕事の補佐をしていたが、彼が新居に連行されてからこっち全く音沙汰がなかった。何食わぬ顔でいつものように仕事へ同行しようという部下たちに、レヴィは恨み節をぶつけ始める。
「お前ら! よくも俺に黙ってたな!」
「はて~なんの事でしょう?」
シューニャが小首を傾げる。
「神婚のことだよ! なんで俺に黙ってたんだよ! どうせお前らシャルカ様とグルになってたんだろ!」
直属の部下から重要事項の連絡がきていなかった事に憤慨するレヴィに対し、当の部下二人はどこ吹く風である。
「確かに色々と些末な事をお伝えし忘れていたかもしれませんが、問題ありません」
「問題大ありだわ! まず真っ先に俺に伝えなきゃなんねぇ事があったはずだわ!」
いつもの涼しい顔で返すエークに今にも掴みかからん勢いで否定する。いけしゃあしゃあとよくも言えるものだ。そもそも問題あるかどうか決めるのはこっちの方である。
「まぁまぁ~もうお時間も迫ってますし、いつも通りお勤めに参りましょう~」
今度はシューニャに背中を押されながら玄関からぐいぐいと押されて出る。いつの間にか後ろに引っ込んでいたフィーチェにエークが会釈をするのを後目に見ながらレヴィが声を上げる。
「ちょっと待て! お前たちが来てるってことは門が開いているんだよな。まずはシャルカ様に会いにいくぞ」
先日からレヴィを拒み続けている、天空神の領域へと続く門の事を指摘するも二人から返ってきたのは
「駄目です」
「無理で~す」
というなんとも取り付く島もない返答であった。
「なんでだよ!」
気色ばんでレヴィが引きずられながら拳を振り上げると、彼らは口々に説明を始める。
「レヴィアーナ様がいらっしゃっても門を開けるなと、お屋形様からの言いつけがございます」
「たとえ泣き叫んで助けを求めてきてもけっして開けるなとの事で~す」
「なんでだよ!?」
理不尽な物言いに思わずレヴィは悲痛な声を上げた。そこまで拒否されるとは前代未聞である。幼いころ酷い悪戯をして怒られた時だって、屋敷から転がり出されはしても領外に締め出されるなんてことはなかった。
「それだけお屋形様が此度の神婚に期待をお寄せなのでしょう」
エークが手元にある仕事の資料を確認しながら片手間にレヴィへと返す。その様はまるで子供の駄々を聞き流している親のようでもあった。
「物事には順序ってもんがあるだろうが!何の説明もなしに結婚しろとか言われて、はいそうですかなんて言えるか!」
「でもレヴィアーナ様、説明したら絶対逃げるじゃないですか~。『俺は稲穂の姉ちゃんみたいな女の子とじゃないと嫌だ~』とかなんとか言って」
相も変わらずがっちりとした手つきで自分を引きずるシューニャの言葉に図星を突かれたレヴィは、ぐっと押し黙ってしまった。確かに事前にこんなことになると言われていたら大慌てで天界中を逃げ回っただろう。だからこそシャルカは黙ってこのような強硬手段にでたのだろうか。
「でもサメリ姉ちゃんの時は断れたじゃないか!」
なおも往生際悪く抗議の声を上げ続けるレヴィに二人は顔を見合わせながら「あ~」などと間延びした声を上げた。
「あれはそもそも神としての相性が最悪だったのをお引き合わせになったそうで」
「ダメもとでセッティングしてみたらやっぱり駄目だったから取りやめたらしいですよ~。お屋形様らしいですよね~。あはは」
「笑い事じゃねぇわ! 他人事だと思ってお気楽にしやがってお前ら!」
語気を荒げるレヴィをものともせず、ところで、とシューニャが手元に引きずる己の主人を見下ろす。
「レヴィアーナ様、なんか額が赤くなってません? 変な虫にでも刺されました~?」
「待てシューニャ。レヴィアーナ様は新婚なんだ。詮索はよせ」
「んな色っぽいことは微塵もないわ!!」
そんなこんなで、やいのやいの言いながらレヴィは引きずられるままに引きずられていった。
*
「おかえりなさいませ、レヴィさま」
「た、……ただいま」
こんな時だというのに常通り、いやいつも以上に、仕事と称して引き回されたレヴィは疲労困憊で帰宅した。
(なんでこんな時に限って山ほど仕事があるんだよ……!)
シューニャに首根っこを掴まれながら天界中を飛び回り、その合間にエークが膨大な書類仕事を振ってきて切りがない。そんな多忙な一日を過ごしたレヴィは、腕にまとわりついてくるフィーチェをすり抜ける気力すらなくしていた。こんなに色々やらされたのはシャルカから今の仕事を引き継いですぐのころ以来である。
「あの……レヴィさま、申し訳ありませんでした」
いつも以上に酷使されたところに神婚関連の心労も祟ってすっかり疲れ切っていたレヴィには気づかず、フィーチェが傍らからおずおずと声を掛けてきた。申し訳ないという感情がこの娘にもあったのか、と非常に失礼な事を考えながらレヴィは投げやりに応える。
「申し訳ないって何が? 昨日の夜、俺の服にお香を焚きしめようとして引火させたこと? それとも俺が風呂に入ろうとした時にアロマオイルひと瓶丸ごと入れて油まみれにしたこと? あ~、そういえば今朝エーク達が来る前、寝てる俺の頭に花瓶落っことしたよね。そのこと?」
「まぁ! レヴィ様は些細なことでも逐一覚えていらっしゃるのね! 流石、聡明でいらっしゃるわ」
能天気な反応のフィーチェに「はははどうも」と乾いた笑いを返す。どうやら彼女は皮肉をものともしない図太い神経をお持ちらしい。ちなみにボヤを消火したのも、浴槽の後始末をしたのも、額の手当をしたのも全てレヴィである。これというのもフィーチェに頼むと更なる二次被害を生むせいであった。
「その……今朝のことですわ」
「ああ花瓶ね」
「いえ、そのこともそうなのですが……」
フィーチェがもごもごと言いよどむ。レヴィが未だに痛む額のたんこぶをさすりながら二の句を待っていると、視線を彷徨わせたフィーチェが尻すぼみになりながら言葉を紡ぐ。
「今朝はきちんとお見送りができず申し訳ありませんでした。わたくし、その、初めてお会いする方がちょっと苦手で……」
そんなこと? ああでも言われてみれば今朝、玄関の柱の陰に隠れたまんま出てこなかったもんなと思い返す。とはいえエークとシューニャは特に気にしてないだろうからさして問題はないだろう。それよりも俺に対してもっと謝罪と労りの感情を寄せてほしいもんだとレヴィは胸中で毒づいた。
「あ、でもレヴィさまのことは平気ですの。小さい頃に一度お会いしていましたので」
思いがけず出てきた言葉にレヴィは虚ろな表情を一変させ、フィーチェを振り向いた。そんな事は初耳だ。と、そこでようやくレヴィは先日アグマから言われた言葉を思い出した。
『ちゃーんと本人から聞いてみた方がいいんじゃない?』
「俺と君、どこかで会ってたっけ?」
瞬間、微かだがフィーチェの顔が陰ったような気がした。
「……覚えていらっしゃらないのも無理ありませんわ。ほんの小さい頃でしたもの。まだレヴィ様が蛇の尾でいらっしゃった頃、アシュブランテ様の桃園で一度だけお会いしましたのよ」
にっこりと口元だけ笑って話す彼女は、やはりいつも通りに見える。気のせいだったかとレヴィはフィーチェの目元が窺えない程に分厚いレンズを眺めた。
ところでレヴィは本来、下肢が蛇の形をとる蛇龍である。今でこそ人間と同じように二足で歩いているが子供の頃は足を上手く変化させることができず、蛇の下半身で這いずりながらあちこち出歩いたものである。桃園にもよくこっそり足を運んだ記憶があるが、果たしてこのような娘と顔を合わせただろうか?そもそもあそこは豊穣神の管理する農区の中でも特に奥まったところにある場所で、限られた者しか入れない秘密の園である。まぁだからこそ「うんまい桃があるに違いない!」と食欲に突き動かされた幼きレヴィ少年は出入りしたのだが。好き勝手に桃の木に登って果実をむさぼっていた記憶はあれど、そこにフィーチェのような娘がいた記憶はない。第一、こんなに色々と特徴的な子は一度見たら忘れられないだろう。
「ごめん、やっぱ思い出せないや」
所詮は子供の記憶だ。他の誰かと勘違いしているかもしれないし、あるいはこちらの気を惹きたいがための虚言の可能性も否めない。取るに足らないことだと判断したレヴィは形ばかりの謝罪を返した。
「そうですか……」
「もういい? 俺今日はめっちゃくちゃ疲れたからさ、すぐ体を休めたいんだ」
先刻アグマの言葉ついでに思い出したものがもう一つあった。「不埒で無礼で横暴で、ついでにスケベな輩」作戦である。この二日間は周りに流されてしまって上手く作戦を実行することができなかったが、明日からこそは徹底的にフィーチェを失望させられるようなダメ男神ぶりを見せつけなければならない。この二日間でもレヴィなりにかなり気のない対応を心掛けてきたが、当のフィーチェには通じているのかいないのか、相変わらず付きまとわれていることから、より一層傲慢な対応が求められる。
(そういうの柄じゃないんだけどなぁ)
それなりに気骨が折れそうな気配を感じ、レヴィはもう何度目になるか分からない溜息をついた。
「それじゃ、おやすみ」
寝室に向かいながら背中越しに告げ、フィーチェのまだ話し足りなさそうな気配を扉で遮った。
「おやすみなさいませ……」
フィーチェの弱々しい声はもう、届かなかった。
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