蛇花神婚譚

第1章 俺、結婚するんだってよ

Work by もっさん

 「神婚」とは神と神が結ぶ特別な結びつきのことで要は結婚のことらしい。らしいというのは俺自身したこともないし身近にも経験者がいないから知識としてしか知らないからだ。ただうんと小さいころよくお世話になっていた女神がある日、いきなりいなくなったことがあって、後から周りに聞いたら「遠くに嫁にいった」って教えられた。神婚ってそんな突然するもんなのかとかなり驚いた。だって俺は稲穂の姉ちゃんに毎日のように遊んでもらってたから、ひと言くらい挨拶とかお別れの言葉とか言いたかったんだよ。あ、稲穂の姉ちゃんっていうのは「遠くに嫁にいった」って言われた女神のことで、稲穂の成長を司る神様だったから俺は稲穂の姉ちゃんって呼んでたんだ。めちゃくちゃ可愛がってもらってたんだよ「レヴィちゃん、レヴィちゃん」って。可愛かったなぁ……いや小さい頃の俺じゃなくて稲穂の姉ちゃんが。いつも俺のことぎゅって抱っこしてくれて、まだうまく言葉も話せない俺の言うことにいちいち返事してくれて、「レヴィちゃんのほっぺたはすべすべね~」なんて頬ずりなんかもよくしてくれて。そうそう一緒に田植えしたこともあったな。今でもあの時一緒に作った米は大事にとってしまってある。まぁとにかくそんなこんなで稲穂の姉ちゃんとの思い出は特別なんだ。なんでかって? その、あれ……一応、初恋だったし。いい年こいて気持ち悪い? ほっとけ! ……って言いたいとこだけど、実際はそうなのかもしれない。いつまでも昔の思い出にすがりついて独りでプラプラしてたから、こんな事になったのかもしれない。

「レヴィアーナ、お前の結婚相手が決まったぞ」

突然、なんてことない事のように言われた言葉に事態が呑み込めなかった俺は、蛇に睨まれた蛙のように固まった。突然嫁にいった稲穂の姉ちゃんも当時は俺と同じこと考えたんかな、とか一瞬だけ思いながら。

「そんな藪から棒に!?」

こうして俺ことレヴィアーナの婚約破棄に向けた奮闘が始まった。

「そういう訳で今日からお前は新居の方で暮らせ」

「新居!?」

 思わずオウム返しで叫んだレヴィのことを両脇からがっしりとした腕が捕まえる。さながら逮捕された犯罪者のように腕を抱えられたレヴィは驚きながらも気色ばんだ。

「何すんだよお前ら!」

先ほどまで素知らぬ顔で脇に控えていた直属の部下二人が無言のまま捕まえてきたのだ。肩を振ってもがき暴れるも、びくともせずちっとも振りほどけそうにない。それでもなお暴れるレヴィをものともせず、彼らは部屋の出入り口へと引きづっていく。

「待てよ、おい離せよ!」

どっこいせと、若々しい見かけに似合わず大仰な掛け声をあげて椅子から立ち上がった男が、もがき暴れるレヴィを後ろからのんびりと追ってくる。部屋を出れば何事かと他の神々や精霊たちが騒がしい四人(実際騒いでいるのは一人だけだが)を次々に見返してくるが、しかし今のレヴィにはそんなことを気に留める余裕もなかった。上級神としての矜持も恥も外聞もなく子供の駄々のように地団駄を踏んでこれ以上引きずられないよう踏ん張ろうと試みる。

「急になんですか! なんで俺が結婚なんてしなきゃなんないんですか! 理由を説明してくださいよ、シャルカ様!」

自由にならない体をなんとかよじりながら首だけ振り向いて吠えると、説明を求められた男――天空神アルカ=シャルカが不思議そうに問い返してくる。

「理由が必要か?」

「当たり前でしょう!?」

人を食ったようなことを言うシャルカだがその実、全く悪意がないことをレヴィは知っている。この御仁は単にとんでもなく能天気なのだ。変わりやすい空模様のように急に突拍子もないことを言うのも、あるいは空に浮かぶ雲のように掴みどころがないところも、担い持つ天空の性なのだろうか。シャルカには昔から周りを振り回す悪癖があった。その規格外な振舞いもここ数百年ですっかり慣れっこになって「はいはい、いつものことですね」と流しつつあったのだが、今回ばかりは看過できそうにない。

「このあいだ私から仕事の引継ぎが全て終わっただろう。つまりお前はもう神として一人前になったという訳だ。一人前になったからには次にすることは結婚だろう?」

いやその理屈はおかしい。

「成人したから結婚しろってことですか!? 急にそんな、横暴ですよ!」

確かにレヴィは先日、長年かけて少しずつシャルカから引継ぎをしていた天候管理の仕事を一人でこなせるようになったばかりである。不老不死である神々の住まう天界では地上と違って年齢を区切って成人とする風習はないが、仕事で一人前になったら成人とみなす風潮があった。確かにその理屈でいえばレヴィはシャルカの言う通り神として独り立ちしたところである。が、だからといっていきなり結婚しろとは話が飛躍しすぎている。

「そうか? 道理にかなっていると思うがな」

「まったくこれっぽっちもかなってません! 嫌ですよ俺、そんな急に知らない子と結婚すんの! 俺は稲穂の姉ちゃんみたいな巨乳のおっとりした女の子とじゃなきゃ嫌ですからね!!」

この言いざまには思わず両隣の部下もそれぞれに苦笑と呆れを漏らす。「その発言は天界のコンプラ違反ですよ~」と部下の一人が喉の奥で笑いをかみ殺しているのを、もう片方の部下がわざとらしい咳払いでたしなめる。愉快そうな反応をする両隣を恨みのこもった目でレヴィはきつく睨んだ。そもそも、それをいうならこの性急な物事の進め方こそが人道に反しているというのだ。

ちなみに仕掛け人のシャルカにいたっては「巨乳かー」と特に何の感慨もなく呟いていた。呑気なものである。

「私も相手方の娘子とは会ったことがないゆえ器量のことは分からんが」

ぼんやりとした物言いにレヴィの混乱が更に掻き立てられる。会ったことがないとは何事か。普通こういうときは事前に相手がどれほど良い子か説いて宥めすかすものだろう。いや、説得されてもこんな急な話に納得はできないが。

「だいたいどこの誰と結婚しろってんですか! そんな相手ほんとにいるんですか!!」

「いるとも。多分」

「多分!?」

なんでそんなにふわっとしてるんですか!? とレヴィの絶叫が人気のない廊下に響き渡る。と、そこでようやくレヴィは引きずられに引きずられ、とうとう他領へと続く通用門の近くまで来てしまったことに気がついた。顔を上げれば見慣れた門扉がレヴィを外へ導くために口を開けて待っている。まずい、このままでは本当に追い出されてしまう。ここに至ってレヴィは混乱を極める頭を絞り、なんとか延命の方法を捻り出そうと声を張り上げた。

「ちょ、ちょっと待ってください! 忘れ物! 部屋に忘れ物しました! だから戻りましょう!」

「問題ない。後で送る」

にべもなく言ったシャルカが部下たちからレヴィを受け取る。抵抗むなしく、ひょいと小包のように脇に抱えられたレヴィは足が地を離れ宙ぶらりんな体勢となってしまった。長身ではあるものの細身であるシャルカのどこにこんな力があったのだろうかと驚く間もなく、そのままシャルカはレヴィもろとも門の外へと足を踏み入れた。刹那、眩い光に目がくらんで前がよく見えなくなる。光に慣れて薄目を開ける頃、ふわっとした浮遊感を覚えレヴィの頭にはいくつもの疑問符が浮かんだ。見れば何故かシャルカの足裏には地面がない。そして周囲の空間にはもくもくと白い綿菓子のような塊が連なって動物の群れのようにそこに存在していた。不可思議な光景だが日々空を駆けるレヴィには瞬時にそこがどこであるのか理解でき絶叫した。

「ってなんで空中とつながってるんですかあああ!」

そのままレヴィはシャルカに抱えられて自由落下していった。悲鳴の残響を聞きながら部下たちがにこやかな顔をして門扉を閉める。いってらっしゃいませ、との見送りの言葉はもはや、かけられた本人の耳には届いていなかった。

「上からの方が新居がよく見えると思ってな」

「そういう気遣いはいらないんですよ!」

ようやく地面に降ろされたレヴィは開幕、シャルカにくってかかった。しかし相変わらず大空のように泰然とした態度を崩さない彼に今度は「ほら、あれだ」と後ろを見るよう手で促される。いまだ早鐘のように脈打つ心臓をいたわりながらレヴィが振り返ると、そこには白い石の建材で日の光によく映える豪勢な御殿が建てられていた。空から落ちてくる時にはパニックで存在自体に気づかなかったが、ここがシャルカの言っていた新居とやらだろう。所々に見られる植物文様の彫刻がシンプルながら目を惹き、また玄関口や庭先など目のつくところに多種多様な草木や色とりどりの花々が植えられていて大変美しい。普段であれば世辞のひとつでも口からついて出るところだが、状況が状況なだけに素直に褒める気になれなかった。

「建築の神に頼み込んでな、あまりくどくならぬような塩梅で作ってもらった。あれはすぐに面妖な物を建てたがるからな。そうそう、植木や花はわざわざこの為に取り寄せたものらしいぞ」

「こんなところに連れてきても俺は結婚しませんよ。まだ納得した訳じゃないんですからね」

つらつらと新居の説明を始めるシャルカを遮って抗議するも、彼は特段気にしてない様子で「そうか」とだけ応える。この応答はおそらく「お前の言っていることは理解した。だが承認はしない」の意だろう。その証拠に、言うやいなやレヴィが逃げないように首根っこを掴んだシャルカが新居の玄関口へ引きずって中に入ろうとする。

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!」

なおもごたごたと抵抗するレヴィを猫のように軽々持ち上げて、シャルカは新居の奥の方へと歩き始める。しばし回廊を進み広めの居間と思しきところに出ると、柔らかそうなソファーの上へとレヴィを放り投げた。

「うわっ! もっと丁寧に扱ってくださいよ! 俺は繊細なんですよ!」

クッションが受け止めてくれたから良かったものの、顔から飛び込んで鼻が潰れるところだった。しかし、やはりここでもレヴィの抗議の声は無視され、シャルカは踵を返し何故か部屋を出て行こうとしている。

「え、いやだから待ってくださいってば!」

「少し待て」

俺が待つの!? とあまりに取り付く島がないので悲痛な声をあげるレヴィがシャルカへ手をのばすも、その手は力なく虚しく空気を掴むだけだった。気が消沈するのと同時にゆるゆると手を降ろし、レヴィは頭を抱える。

「いつにもまして人の話きいてねぇな、あの人……!」

シャルカの靴音が遠ざかるのを聞きながら顔を両手で覆って盛大な溜息をつく。見下ろす絨毯の精緻な刺繍飾りをみながらレヴィは一旦冷静になる事にした。そうだ、これは好機だと。止める者がいない今なら逃げることができると。回廊を戻るとシャルカと鉢合わせするかもしれない。さしあたり窓から逃げ出すのが無難か。などとそこまで一気に頭の中で算段してから、はたとあることに気づく。

「どうして誰もいない?」

しんとした空気の中でレヴィの怪訝そうな声だけが静かに吸い込まれる。これはおかしい。天界のいたるところでは様々な神・精霊たちが働いており、十二神直轄の領内から共用領域にいたるまであらゆる雑事を担う者達が常にいるはずなのである。例えば炊事場には調理を行う火の精霊が、浴場には湯を操作する水の精霊が、田畑には作物を見守る土の精霊がいる。天空神シャルカの領域にも上級神の仕事を補佐する下級の神や、その神々の身の回りの世話をする傍仕えの精霊たちが数多くいた。基本的に天界はどこにいっても大所帯で動いており、神や精霊のいない空間などまずもって存在しないはずである。だというのにレヴィが今いる居室はもとより窓から覗く庭にさえ、人っ子ひとりいなかった。不気味なほど静まり返った空間が存在するのみである。

「誰かいないのか」

応える者はいない。しかし代わりに僅かな衣擦れの音が聞こえてきたのをレヴィは逃さなかった。

「誰だ。でてこい」

警戒しながら音のする方へ声をかけると、ややあって姿を現したのは珍妙な恰好をした者だった。全身をすっぽり覆い隠すローブを着用し目深にフードを被っている。俯きながら恐る恐るといった体で歩み出てきた不審な人物をレヴィは詰問する。

「何者だ。何故隠れていた」

咎める言葉を受けてか進み出てきた人物の手がわずかに震えている。その手元から覗く手首は細い。女性か、とレヴィが密かに推測するとその人物はゆっくりと顔を上げた。が、その瞬間少しばかりレヴィはぎょっとした。何故なら彼女の顔には牛乳瓶の底のように分厚い眼鏡がかけられていたからである。目元の表情が全くうかがえないほどに分厚いそれは、その他の服装とも相まって異様に映る。怪しさ満点でいかにも不審者と言わんばかりの風貌の少女にひるんで次に言うべき言葉がでてこないレヴィに代わり、今度は彼女の方から声をかけてきた。

「あの、レヴィアーナさまでいらっしゃいますよね?」

声は震えている上にか細かったが、確かにそう聞き取れた。

(俺のことを知っているということは)

ここに至りレヴィは合点がいった。なるほど、そういうことかと。この少女、まるで怯えている風を装っているが、おそらくこちらの油断を誘う演技だろう。近頃は破壊神の封印が弱まり地上に再び魔物が蔓延るようになって久しいと聞く。魔の側から自分のような上級神に刺客がとんできてもなんら不思議ではない情勢なのである。そこまで考えてレヴィは改めて少女の異様な風貌を上から下までじっくり観察した。さしずめこの不審者然とした全身を覆うローブには武器が隠しこまれているのだろう。しかしこちらとて丸腰のように見えるが、実際には雷撃を集めて作る長槍をいつでも取り出せるようになっている。応戦は可能だ。

「そうだと言ったら?」

臨戦態勢になりつつ静かに答えると、少女は手元をいじりながらもごもごと更に聞き取りにくい声で何事か言っている。手遊びする振りをしながら暗器でも取り出すつもりだろうか、それとも呪詛でも吐いているのか。レヴィはいつ仕掛けられてもいいよう手元に帯電しながら相手の出方を待った。少しして意を決したように少女が一歩前に踏み出し、再びレヴィの顔を見上げる。ついにくるか。レヴィが手の中で雷撃を握り込んだその瞬間。

「ずっとお慕い申し上げておりました!!」

飛んできたのは己の首を狙う暗器ではなく、唐突かつ猛烈な愛の告白だった。

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