蛇花神婚譚

第16章 蛇と花の神婚

Work by もっさん

明け方の薄闇の中、新居へと戻ってきたレヴィとフィーチェは驚愕した。

「なんで寝室が一つしかないんだ!? 」

本来レヴィ、フィーチェそれぞれの私室に備え付けられていたベッドが撤去されており、代わりに今まで物置かと思われていた空き部屋に新しく大きめのベッドが設置されていた。二人してその前でぽかんとしていればベッド脇のチェストにメモ書きがある。持ち上げればそれはシャルカからの伝言であった。

『模様替えはしておいた。正式に結婚したのであれば、次にすることといえば――』

横から顔を出したフィーチェが文面を読み上げるのでレヴィは慌ててメモ書きを破いて捨てた。

「こんなもの、女の子が読むもんじゃありません」

「後半、なんて書いてありましたの?」

「何も書いてません」

努めて冷静を装って返答するが、内心では書かれていた生々しい文面にレヴィは大変狼狽えていた。

(「同衾」ってなんだよ!?)

いや、その単語の意味が分からないという訳ではない。ただ相も変わらず親神ののたまうことが性急すぎて眩暈がしただけだ。

(そりゃあ新婚初夜なんだから期待してなかったといえば嘘になるけどさ……だからって俺たちまだ手をつなぐくらいしかしてないし、色っぽいことなんか何もしてないし……)

とレヴィが一人頭を抱えてうだうだとしている内に、フィーチェはいそいそと寝支度を終えベッドの上によじ登っていた。髪を降ろし、薄いシルクのネグリジェ姿になった彼女がぽんぽんと敷布団を叩いてレヴィを促す。

「ともあれ寝室がひとつしかないのであれば仕方ありませんわ。共に寝ることといたしましょう」

「適応早いね!? ……さてはさっきの文章全部見えてたね?」

「……ええ、まぁ、その」

小さく頷くフィーチェが恥ずかしそうに目線を逸らし、頬を染める。おお、やめてくれ、そんな可愛らしい反応をされると困る。だがしかし、レヴィはシーツの上でしおらしく己を待つフィーチェから目を離せないでいた。紐から解かれてシーツの上で広がる長い髪、豊かな肢体を薄く包む寝巻、そして困ったようにこちらを見上げてくる潤んだ瞳……レヴィの中で本能と理性がどったんばったんとドッグファイトを繰り広げ始める。

(そんな、俺たちにはまだ早い)

(いいや、初夜とは古来よりそういうものだ、何も早いなんてことはない)

(だけどいきなりすぎてフィーチェの負担にならないか? あんまりがっつきすぎて嫌われたくないぞ)

(それもそうだな)

内なるもみくちゃ乱闘の末、勝ったのは理性であった。だがしかしその時である。

「さぁレヴィさま、おいでくださいまし。あんまり待たせないでくださいませ」

フィーチェが上目遣いをしながらレヴィの服の裾を摘んでむくれて見せた。その瞬間、なんかもう色々どうでもよくなってしまったレヴィは、勝鬨をあげる理性を背負い投げでぶん投げた。強大な力を持つ男神たる者、常に紳士たれというのも分からんでもないが、逆に考えてみてほしい。ここまで女性に言わせておいて敵前逃亡するなど、神として以前に男がすたるというものではないか? これ以上、彼女を無碍にするのは失礼極まる。そう自己弁護を胸中で並べながらレヴィは堅苦しい正装をクローゼットにしまい、柔らかな室内着に着替えた。クローゼット脇の衝立から出てフィーチェの待つベッドの端に座れば、レヴィが慣れない蜜語を口にするより先に彼女の方から声を掛けてきた。

「わたくし、こういった時のお作法ならきちんと分かっていますわ。今日はわたくしにどんと任せてくださいませね」

「いや、女の子ばかりに頑張らせる訳にはいかないよ。それにまずこういう時は男の方が気張るもんっていうか……てうわっぷ」

しかし、レヴィが言い終わるより先にその口はフィーチェのたわわな胸によって塞がれてしまう。ふにょんとした何ともいいようのない柔らかさが顔面に広がり、一瞬何が起こったのか分からなかったが、すぐに状況を理解しレヴィはひどく狼狽えた。

「ふ、フィーチェ!? なにを…… 」

しかし構わずフィーチェはレヴィをむぎゅむぎゅと抱きしめ、今度はぎこちない仕草で頭を撫で始める。

「よしよし、よしよしですわ。ねんねんねんね、おめめをとじて~」

「え?」

そして何故かのんびりと歌い始めた。

「ねんねんねんね、ほっぺはここよ~」

そしてまた慣れない仕草でレヴィの頭を胸に押し付け、撫でまわす。ねんねんねんね……聞き覚えのあるフレーズにレヴィは胸元に顔をうずめながらある一つの答えに行きついた。

(ねかしつけようとしている!? )

ねんねんねんねとは天界で広く馴染みのある子守歌である。どうやらフィーチェはここに至って何故かどうしてかレヴィを子供のようにあやして寝かしつけようとしていた。

(まさか、「こういった時のお作法」ってあやし方のことか!? )

「いかがです、レヴィさま。眠たくなってきたでしょうか?」

そっとフィーチェが顔を覗き込みながら訊いてくる。

「いやむしろ逆効果」

固い表情で返すレヴィにフィーチェは困ったような顔をしてみせる。

「まぁ……では横になってみましょうか。少しはリラックスして眠気がくるかもしれません。さあねんねんねんね~あたまはここよ~」

ここよと枕に頭を誘われ、柔らかな感触に依然として狼狽が止まらないレヴィは、つい言われるままに横になってしまった。そしてあれよあれよというままに布団をかけられ、枕元をクッションで固められ、完全に就寝する姿勢にさせられてしまう。しかし普段の寝姿と決定的に違うのは、その横に薄着の新妻がおり、視界いっぱいに彼女の水風船よりも柔らかな胸が広がっている点である。随分と刺激的で暴力的な視界だ。慣れないことをしているフィーチェの方も恥ずかしげにレヴィに抱き着いているが、レヴィはそれ以上にいろいろと限界になりそうだった。

(駄目だ、これ見てるから駄目なんだ。そうだ目を閉じて俺の体にある鱗の数を数えよう……)

瞼を閉じると、勘違いしたフィーチェが耳元で優しく囁いてくる。

「おねむなのですね。よしよし」

(くっ……聴覚からも暴力が! )

吐息が耳にかすってたまらない気持ちになりながらもレヴィは謎の悔しさに歯ぎしりして耐えた。そんなレヴィの気持ちを露ほども知らず、一生懸命にフィーチェは頭を撫でたり背中で拍子をとってやったりと甲斐甲斐しく寝かしつけてくる。そうしてしばらく一人レヴィだけが悶々とした時を過ごしていると、ふいにフィーチェが笑みをこぼした。

「ふふ、懐かしいですわ。わたくしもよく小さいころ、こうして稲穂のお姉さまに抱っこされて寝たものですわ」

思いがけず出てきた名前にフィーチェの顔を見上げれば、彼女の瞳はもうとろんと半分ほど閉じていた。どうやら今日一日の疲れがでてきたようである。ふいに懐かしい名を聞かされレヴィは少し落ち着きを取り戻しながら口を開いた。

「……俺、今なんだか無性に稲穂の姉ちゃんに会いたいな」

「あら、それはどうしてですの……?」

もう瞼がくっつきそうなフィーチェが眠気と戦いつつ、かろうじて小さく問いかけると、レヴィは苦笑しながら眠気を誘うように彼女の頭を優しく撫でた。

「会ったら言うんだ。こんなに素敵な女の子と結婚できましたって」

その言葉に少し驚いた顔をした後、フィーチェはふにゃふにゃとした顔で笑う。

「わたくしも、きっと、同じことを……」

最後は寝息にまぎれて聞こえなくなってしまったが、彼女の言わんとすることはレヴィにもきちんと理解できた。広い寝室にフィーチェの規則正しい寝息の音だけがたち始めると、彼女を起こさないようゆっくりとレヴィは体勢を変える。フィーチェの胸に抱かれている体勢から、今度は彼女を両腕で包み込むように。フィーチェはレヴィが身じろぎしても全く起きる様子がなく、随分と深く眠り込んでいるようだった。

(今日一日、頑張ってたもんな。お疲れ様)

手の甲でふわりとその頬に触れれば、フィーチェが口元をむにゃりとさせる。

「ん……レヴィ……さま……」

「はぁい」

レヴィが微かな吐息まじりに返事をすれば、いったい何の夢を見ているのだろうか、フィーチェの顔がゆるゆると微笑みに変わる。そのえらく脱力した表情にレヴィも思わず笑みをこぼしてしまう。

(何の夢見てんのかな……)

今日あった婚儀のことか。それともその前の、あの怒涛のような出来事だろうか。レヴィはフィーチェの健やかな寝顔を見ながら、ここ一週間の出来事に想いを馳せる。

始まりこそはあまりにも突然で納得のできないことだらけだったし、その後も大いに振り回され続けたが、今こうして腕の中に小さく収まっている彼女のことを想えば、そう悪い出来事ではなかったなと思える。

「おやすみ」

レヴィはフィーチェの頭を自分の胸元に引き寄せ、大事なものをかかえるようにぎゅっと抱きしめた。

外では朝の訪れを告げる陽の光に照らされて早咲きの花がほころんでいる。風に寄り添うように花弁を開くその様は、新しい縁の誕生を祝福しているかのようでもあった。二人は春の暖かい陽光の中でどちらともなく身を寄せ合って眠り続けた。頬を寄せ、離れることのないよう指を絡めあいながら。

形ばかりの神婚が名実ともに成ったとき、そこには仲睦まじい蛇と花の夫婦が在った。

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