蛇花神婚譚
Work by もっさん
適当な付箋をつまみ、示されたページを開く。日付を見れば去年の冬頃の記述だろうか。小さいがよく整った字で綴られた文字をレヴィは拾っていった。
『残花の節 雷雨の日
今日は朝からレヴィさまが空を駆け巡っていらっしゃるのをバルコニーから拝見していました。あの方が羽ばたく姿は本当に何度見ても素晴らしいものです。轟く黒雲の中で稲妻と共に走るレヴィさまのお姿は、この天界のどの花よりも美しく、どの樹木よりも力強いでしょう。この打ちつける激しい雷雨も最初こそは恐れを抱くものでありましたが、あの方が降らせてくださっているのだと分かってからは、とても心地よいものに感じます。普通の雨とは違う、激流ともいえるほどに振りそそぐレヴィさまの雨は、天から注がれる恵みの美酒と言えるでしょう。
降雨のお仕事の後、いつものようにアシュブランテ様がレヴィさまへの御礼としてささやかな宴を手配なさっていました。レヴィさまは音楽を雷鳴のごとく大きな音で聴くのがお好きだそうで、今日の演奏はわたくしのいる部屋まで鮮明に聞こえてくるほどでした。ちゃんとした音楽を聴くのは何年ぶりでしょうか。レヴィさまのお陰でこの狭い部屋の中にも新たな彩りを添えて頂くことができました。感謝の念に尽きません。もしも……本当にありえないことですが、もしレヴィさまにお会いできる機会があったのなら、わたくしもレヴィさまに楽器の演奏を聴いて頂きたいと思いますわ。そんな機会、絶対にこないでしょうが……でもきっと、誰よりも大きな音を奏でてレヴィさまに楽しんで頂けるように頑張ることでしょう。』
なんだこれはというのが第一印象だ。
(会った事もないのに俺のことについて書いてある。これは遠くから覗き見してたのか?)
若干、気味の悪さを覚えながらもレヴィには一つ合点がいった箇所がある。
(あの寝る前に爆音で楽器を演奏してたのは、ここからきてたのか……)
一応、自分のことを想ってのことだったらしいと、嫌がらせをされていたという認識を改める。この日のページを更に読み進めてみれば、下の方にレヴィがよく好んで楽団にリクエストしていた楽曲がまめにメモされていた。
怖いもの見たさで次の付箋をつまみ上げる。見れば今度はレヴィの食事の好みについて盗み聞きしたことが書かれており、これもまた下のところにレヴィが特に好んで食べる料理が記されていた。いくつかは赤く目印がついている。チキンティッカにエッグブルジ、パラックパニール……これは確か-
(初日に俺の好物だって言って作ってたのって、まさかこれか……?)
丁度品数も合っているし、おそらくそうだろう。そうか、あれは自分の好みを事前に調べた上で作ってくれていたのか……。盗み聞きだが。
(ん? ちょっと待て、ということはこの付箋が付いている箇所全部……)
次の付箋付きのページ、更にその次のページへと手を伸ばし、そこに記されている日記と細かに記録されていた情報にざっと目を通す。間違いない。この付箋の目印が付けられたページは全て、レヴィの何かしらの趣味嗜好について書かれている箇所だ。どうやらフィーチェはこの数日の間、事前に収集していた情報を使って行動を起こしていたらしい。
(よくもまぁ、こんなに盗み聞きやら覗きやらで俺のことを調べ上げたもんだよ……)
呆れ半分にレヴィはページを読み進めた。付箋が付いていたページが一通り終わると、今度はここ数か月のフィーチェの日常の様子が書かれた箇所に続く。ここからは完全にプライベートなことを盗み見ることになってしまうが、そこはまぁお互い様だろうと、少々の申し訳なさに良心を刺激されつつも更に読み進めることにした。
(俺もストーカーみたいなことされていたんだし、ちょっとぐらい良いだろ)
仕返しだといわんばかりにレヴィは開き直る。それに何より、ほんの少しだが彼女に純粋な興味が湧いてきた。どうやら軽く日記を流し見た限り、フィーチェはアシュブランテの言いつけで引きこもり生活を余儀なくされていたらしい。何故、アシュブランテは彼女を城から出さず後生大事にしまい込んでいたのか、引きこもりの生活とはどのようなものなのか気になってきたのだ。
(一日中ひきこもって生活するなんて俺じゃ絶対に無理だな)
意地の悪い根性がちらりとしながらレヴィはページをめくった。「待雪の節」と書かれたそれは、つい先月の日付である。
『待雪の節 晴天の日
信じられませんわ。わたくしがレヴィさまと神婚を結ぶことになるなんて。まだ胸がどくどくとします。嬉しさで宙に浮いてしまいそうです。』
ここまでの書き出しでレヴィはフンと冷笑しながら半眼になった。こっちが顔合わせ当日にいきなり拉致同然で連れてこられて、てんやわんやしていたのに随分といい気なものである。が、続く文面に文字をなぞっていた指がぴたりと止まる。
『でも本当にわたくしでいいのでしょうか。何をやらせても生半可なわたくしが……。いいえ、一度決まったことはもう受け止めなければなりません。己がレヴィさまに見合ってないと思うのなら、レヴィさまの隣に立っても恥ずかしくない女神になればいいだけのこと。でもわたくしはずっとこの城から出た事がありませんし、こういう色恋ごとを相談できる友人もいません。どうすればいいのでしょうか……。』
思いがけない言葉にレヴィは少し目を見開いた。「本当にわたくしでいいのでしょうか」……? そんな殊勝な態度、この数日でついぞ見ることなどなかったが。彼女は確かに常におどおどしていて自信なさげに振舞ってはいたが、レヴィに対してだけは妙にアグレッシブに振舞っていたはずだ。遠慮のえの字もなく、隙を見せればすぐに腕に絡みついてしなを作り、くねくねと蛇行する蛇のようになる変人だ。まるでこちらが彼女に対して嫌悪感を抱いているなど露ほども考えていない無敵の振舞いを繰り返す。そういう人物だったはずだ。
(ん? 普段の様子と全然ちがうじゃないか……)
自分の知っているフィーチェと日記での記述から見られる人物像の乖離に違和感を覚えつつも、レヴィは先を読み進めることにした。
『落椿の節 晴天の日
猟師のお兄様に頼んで地上の読み物を買ってきて頂きました。聞けば若い女性向けの雑誌だそうです。この書物からは大変多くの学びがありました。なんでも殿方に好かれるための条件というのがあり、それはポジティブな女性が例として挙げられそうです。例えば失敗をしても明るく前向きに振舞うことでポジティブな女性として殿方から好印象を受けることができるとのこと。失敗したらまずは反省すべきなのでは? と思わなくもないですが、大衆向けに販売されているこの書物に書かれていることなのだから一般的にはこれが殿方からは好まれるのでしょう。一つの失敗や些細な間違いをいつまでも気に病むわたくしとは正反対の女性像です。また、ボディタッチなるものが殿方の気を惹くのに効果的だとも書かれていました。さりげなく幾度も男性の肩や腕に触れることで好意を示すのだというのです。……本当でしょうか? そんなベタベタしたら逆に嫌がられないでしょうか? でもそう書いてあるのだからそれが正解なのでしょう。疑うべきはわたくしの常識であって書物の文面ではありませんわ。とにかく実践あるのみです。やってみましょう。』
ここまで読んでレヴィは「あぁ……」と呻くような声をあげてしまった。なるほど、そういうことだったのかと。馴れ馴れしい対応も、変に前向きな考え方も、全て雑誌からの受け売りだったのか。誰かに好かれるために、あるいは嫌われない為に己を理想の誰かに形づくる-レヴィも覚えがないことではなく、急に痛いところを突かれた気がして眉根を寄せた。仕事柄、気難しい者とも多く接するレヴィにとって、そのように他者からの目を気にして本来出ている部分をひっこめ、存在しない部分をまるであるかのように振舞うしんどさはよく分かる。
(あの子、自分のこと作ってたってわけか……)
では今まで見てきたフィーチェが急ごしらえで作り出した偽りの人物像だったとしたら、本当の彼女はどこにいる? 答えを求めるようにレヴィは紙面に指を滑らせた。
『桃花の節 雷雨の日
ついに初めてレヴィさまとお会いしました。この感動をどう言葉にすればいいのか分かりません。わたくしの貧相な語彙では、今日のこの感情の高ぶりを上手に表現することができませんわ。間近に拝見するレヴィさまは本当に素敵で、素晴らしい方で、それで……。どうしましょう。わたくしにあの方の隣に立つ資格があるのでしょうか。一度は頑張ると決意したものの、やることなすこと全て失敗続きでレヴィさまには迷惑をかけっぱなしで、本当に自分が嫌になります。今日、ご用意したお食事だって一口も召し上がっていただくことができませんでした。でも確かにあれは流石にレヴィさまにお出しすべきではありませんでした。火を使うのも初めて、自分で味見できない食材ばかり使いましたもの。そのようにして作った料理が成功するわけありませんわ……。わたくしでも味見ができて扱える食材を使ったレシピがないか探しておきましょう。次こそはレヴィさまに美味しいものを召し上がって頂けるように。お仕事でお忙しい方ですもの、家では少しでも安らいでもらえるようにしなければ……。』
『桃花の節 曇天の日
今日もまた失敗ばかりしてしまいました。本当にもうわたくしは自分が嫌になってしまいます。朝からレヴィさまの頭に花瓶を落とすわ、きちんとお見送りができないわ……。
せっかく庭から早咲きの桃の花を採ってきてレヴィさまの枕元に飾ろうと思いましたのに……。お疲れのレヴィさまが少しでも安眠できるよう、こっそり寝ている間に用意しようとしていましたのに、怪我をさせてしまうなんて言語道断ですわ……。本当にわたくしは愚図な女神です……。』
『桃花の節 晴天の日
今日はレヴィさまにお茶とお菓子をご用意しました。なんとか火を使わず、動物性のものを使わずに調理できるものがあって良かったですわ。一晩中レシピ本をひっくりかえした甲斐がありました。レヴィさまにも喜んでいただけたようで本当にほっとしましたわ。そうそう今朝はなんと、レヴィさまから「俺の好きなところ挙げてみて」なんて言われてしまいました。あの時のおっかなびっくり仰る様といったらあどけない子供のようで大変可愛かったですわ。男性に可愛いは禁句でしょうからご本人には申し上げられませんが……。』
文章はこう締めくくられる。
『きっとわたくしでは駄目なのでしょうね。でも残り少ない時間、せめてほんの少しでもいいのでレヴィさまのお役に立てれば、もう思い残すことはありませんわ。いっときの思い出としてこの一週間のことを大切に胸にしまって生きていきましょう』
末尾のインクは滲んでいた。乾く前に何かしらの雫でも落ちてきたのだろうか。
「……なんだよ、これ……」
今度は先ほどとは違う感情から呻いたレヴィは、胸が内側からじりじりとした熱い気持ちでいっぱいになるのを感じた。罪悪感と自己嫌悪と、それとはまた違う名も知らぬ感情が溢れてきて止まらない。
彼女がこんなにいじらしい気持ちを抱えながら自分に心を砕いてくれていた傍ら、自分は彼女から逃げることしか考えてこなかった。だけれども彼女はそんな自分のことを労りこそすれ、けっして責めることなどなかった。その事実をはっきりと認識してレヴィは茫然とする。
「そんな……これじゃ、俺……」
彼女が自分に邪見にされていることに気づかないふりをしている反面、自分は彼女のことを何も知ろうとせず、なに一つ大事なことに気づけていなかった。
「本当はあんなことが言いたかった訳じゃ……」
色んな感情が湧きたち考えがまとまらない。そんな己に焦れたレヴィは早まる鼓動に突き動かされるままに部屋を飛び出した。
「フィーチェ……!」
初めて彼女の名を口にしながら。
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